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2006年5月 8日 (月)

三月歌舞伎座 夜の部

あまりにさぼりすぎてしまい、もう2か月以上経ってしまったけれど、遅ればせながら記憶をたどりつつ書いておきたい。

片岡十二集の内 近頃河原の達引

昼の部の  『菅原伝授手習鑑-道明寺』 に続く十三世片岡仁左衛門十三回忌追善狂言。伝兵衛に山城屋を迎え、我當が猿曳与次郎を、秀太郎がお俊を勤める。十三代目の与次郎は昭和50年が最後だったので間に合わず、この役は我當でしか観たことがない。歌六の次男龍之助が演じる稽古娘おつるは、我當自身が昭和五年に初舞台として演じた役でもある。

お俊に横恋慕して贋金で伝兵衛を陥れようとして殺されてしまう愚かな横溝官左衛門を團蔵が演じる。敵役といえば團蔵というぐらいで、よくはまっているのだけれど、丹波亀山藩の勘定役人なのに言葉がひとりだけ江戸弁っぽくて浮いてしまう。上方の芝居は雰囲気がとても大切だから、関西弁を使い慣れない人には大変なのだろうなぁ。

目が不自由ながら、おつるに稽古をつける母ぎん (吉之丞) の三味線と、野澤松也さんの三味線とが連れ弾きになる場面がとても印象的だった。

貧しい暮らし、文盲の与次郎。切々とした哀れが漂い、楽しげに踊る猿の姿にいっそう切なさが募る。こうした味わいをこそ堪能する作品なのだろう。

二 人 椀 久

富十郎の椀久はもう何度となく観ているけれど、松山に初役の菊之助を迎えたことで、とても新鮮な舞台となった。富十郎の若々しさにあらためて驚く。単に若々しいだけでなく、二枚目にすら見えてくる… (失礼だなぁ)。

よく出る踊りで、松山の登場と去り方にスクリーンを使ったり、木の後ろを出入りしたりと、様々な工夫がみられる。今回は、シンプルにセリを使い、特に消えていく場面は、巻紙の手紙を手にしたまま回転しながら沈んでいく姿がとても流麗で美しかった。

水天宮利生深川 - 筆屋幸兵衛

この幕は意外だった。というのは、先代の勘三郎の舞台をビデオで観たことがあるだけなので、幸四郎にはとても似合わないだろうと思ったし、なんたって苦手な高麗屋だから、てっきり退屈するだろうとあきらめてすらいた。幸四郎という人はまず世話物一般に合わないという先入観もあった。ましてや妻を亡くして男手ひとつで3人の子供を育てる役なんて合うはずがないと思っていたのだった。それが大間違い。没落したとはいえもとは武士。その背景が人情あふれる勘三郎よりむしろクッキリと際立ってくるのだ。武士としての挟持を捨てきれないからこそ現実を受け入れられず、正気を失うところまで追いつめられてしまう。親子の情愛を全面に出し、かわいい子供たちに何もしてやれない情けなさが狂気の原因のよう見える勘三郎の幸兵衛とはまったく違うやり方で、作劇の趣旨を考えると、幸四郎の解釈の方が正しいのだろうと思えた。子供たちの悲惨な境遇が描かれてはいても、幸四郎の幸兵衛を追いつめていくのはそうした周囲の状況ではなく、あくまで明治維新とともに押し寄せてきた新しい時代の波に乗れずに打ちひしがれていく自分自身でしかない。やっぱりこの人には、孤高の役が向いているのよねぇ…。

作者の黙阿弥も、明治という時代に生きにくさを感じていたように思う。幸兵衛には黙阿弥自身も投影されているのかもしれない。

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