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2007年1月26日 (金)

朧の森に棲む鬼

“いのうえ歌舞伎” 第五弾にして初体験。染五郎は好きなのに、これまでなぜか足が向かずにいたのだが、今回はポスターに惹かれてチケットをゲット。歌舞伎座以外に国立劇場に浅草と芝居の多い一月の 「オマケ」 のようなつもりで観に行った。それほど期待していなかったので、主役が染五郎という以外ほとんど予備知識ゼロで出かけたのだが、染五郎の弟分が阿部サダヲ。好きなんだぁ、サダヲちゃん。

個人的にミュージカル仕立ての部分はあまり好きではないのだけれど、この作品にはよく合っている気がした。猥雑な街の群集シーンもビジュアルとして美しく、衣裳も舞台装置も照明も秀逸で、正直、これほど質が高いとは思っていなかった。それにメチャメチャおもしろい! これまでの作品を見逃してしまったことを激しく後悔することになった。

すごいぞ染五郎。最後までまったく改心することのない悪党そのものなのに、凄まじいまでにカッコイイ。彼が歌舞伎を捨てるはずはないけれど、捨てても十分にやっていける人なんだろうなぁ、と思ってしまった。獅童も歌舞伎以外の活躍で注目されているし、丹下左膳のように主役を務めた舞台もあるけれど、どちらかといえばインパクトの強い脇役の方が向いている。その点で染五郎とはやはりオーラの強さが違う。悪のできる二枚目は強い。

染五郎に限らず、全般的に立ち回りその他のスピード感と動きの美しさにも圧倒された。
なじみのない劇団なので、染五郎と阿部サダヲのほか、オオキミ役の田山涼成とマダレ役の古田新太以外はまったく知らないのだが、女優陣ではツナ役の秋山奈津子が特によかった。

大江山の鬼退治がベースになっているので、国の名前もオーエだし、ライは源頼光、シュテンは酒呑童子、ツナは渡辺綱、キンタは金太郎こと坂田金時からだと容易に想像がつく。タイトル 「朧の森に棲む鬼」 の英題は 「Lord of the Lies」 なので、ウソをウソで固めて舌先三寸でのし上がっていく主人公ライの名前には Lies も暗示しているのかもしれない。

本水を使った舞台では、いつも猿之助を思い出す。古くから舞台で水を使うことはあったし、最近でこそ勘三郎もかなり大胆な水の使い方をしているが、何トンもの大量の水を滝のように降らせて観客の度肝を抜いたパイオニアは猿之助だったはずだ。大滝に打たれながらの激しい立ち回りは今も目に残っている。

弟分のキンタさえ手にかけたところで、ライは芯からの悪人なのだと強く印象付けた。キンタが死んでしまって、これでもうサダヲちゃんは見られないのかと悲しかった。だからキンタが再び登場した時には思わず拍手してしまった。無意識のうちに急所をはずしていたのは、弟分に対して少しは情が残っていたのか。周りを欺き頂点に登りつめることができたとしても、そこにどんな喜びがあるというのか。最後まで毒づきながらも、滅びる瞬間までカッコよかった~。

幾度かカーテンコールが繰り返され、劇場のアナウンスが入ってもなお拍手が鳴り止まず、その後も再びカーテンコール。次の “いのうえ歌舞伎” も絶対観たいっ!

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2007年1月24日 (水)

番外編 シネマ歌舞伎

シネマ歌舞伎 二人道成寺

玉三郎と菊之助のコンビによる初演も再演も両方観ているので、シネマの方は見るつもりはなかったのだけれど、見てきた知人があまり絶賛するので興味がわいた。もっとも彼女は実際の舞台は見逃していたから、初めて見るから面白かったのだろう、ぐらいの気持ちだったのだけれど、これが実によかった。

単に画像がきれいだというだけではない。様々な最新技術を駆使するにせよ、実際の舞台をそのまま録画して再現するだけだろうと思っていたのだけれど、そうではなかった。従来の二人道成寺と異なり、二人の女形が花子というひとりの女性の陰と陽とを踊り分けるという作品の狙いをより明確に示すための特殊な編集が施されている。ネタばれになるから詳しくは書かないけれど、結果的に実際の舞台と異なるものになるわけだから、下手なやり方をすれば演者に対して失礼になる。それが実現したということは、と見ながら考えていたところ、最後のクレジットで玉三郎が自ら編集に参加していたことが分かり、納得がいった。

特殊な編集の部分はそれほど多くはない。だが実に効果的。全体の画像の美しさも相当なもので、東劇での上映は今月26日までと残り少ないが、できればもう一度見たいと思っている。そしてもしDVDが発売されたら絶対購入! 何度でも見たい!

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歌舞伎座一月 昼の部

寿初春大歌舞伎

■ 松 竹 梅


歌舞伎座に毎月通うようになって20年近く経つと、演目が何であれ気にせずチケットを取ってしまうし、当日も事前に演目を確認したりはしないので、客席についてから 「さて、今日は何を観るんだっけ」 ということも少なくない。その方が、幕が上がってからどのくらいで何の芝居だか分かるかな、と自分を試す楽しみもあったりする。チラシや歌舞伎座のメルマガで一応は目にしているはずなのだけれど、襲名その他の特別な興行でなければまず覚えていない。そんなわけで、今日も何が始まるのか分からないまま開演を待った。

なんとも華やかな幕開きに、そういえばまだ 「正月」 だったと気付かされる。闕腋袍 (けってきほう) という難しい名前の衣裳をつけた武官姿の梅玉と、おなじみの舎人の衣裳の橋之助。梅玉には貴族の衣裳がよく似合う。端正。橋之助の方は、舎人の衣裳だと長い手足が余計に強調されて、ちょっとアンバランスな印象。最後は花道に入るのだけれど、主人の後を舎人が追っていく形だと後から入る橋之助の方に目が集まりすぎるので、せっかく背景が華やかなのだから、絵面に決まって終わる方がいいような気がした。

背景が松から竹に変わり、てことは梅が続くのね、と分かる。竹とくれば雀。信二郎、高麗蔵、松江の三人が雀で、奴の歌昇とからむ。四人とも厳しい表情のままだったせいか、「戯れ踊る」 というよりは雀対奴の闘いみたいでちょっと怖い。

梅はこれまた華やかに、女形が三人そろい、曾我物語の世界を借りて、魁春が工藤の名代であることは台詞から分かったので、残る芝雀と孝太郎は大磯の虎と化粧坂の少将。当然ながら魁春の衣裳だけが他の二人とはまったく違い、武家らしくありつつ負けず劣らず豪華。松竹梅がそろって、初春にふさわしくおめでたい幕。

幕間にようやく筋書を開き、梅玉は在原業平で、魁春は工藤の妻だったことを初めて知る。なるほど~。分からなかったのは当然で、まったく新作の踊りだった。作詞は川口松太郎だそうな。ふむふむ。

■ 俊  寛

「またこの芝居?」 と思ったのも無理はなく、12月の南座で観たばかり。その時は仁左衛門の俊寛で、遠ざかる船を追って花道に出て行く場面で、俊寛がいきなりスッポンにはまり、胸ぐらいまで水につかった状態でなお手を振り続けるという、鬼界ヶ島周辺の地形まで変えてしまう大胆な演出だった。今回の吉右衛門俊寛は、浅瀬で波に押し戻される従来どおりのやり方で、見慣れているせいか、この方がおさまりがいい。

意外にも富十郎の丹左衛門は初役だという。筋書にはっきりそう書いてあるのになんだか信じられなくて、上演記録で確認してあらためてビックリ。この人が声をはるとやたらと目立ってしまうけれど、あくまで吉右衛門を立てる形で万事控えめに演じていた。

瀬尾は段四郎。一時はかなりやせていたけれど、だいぶ戻ってきたので貫禄十分。もともと目に力のある人だから、敵役も十分にいける。福助の千鳥は、船に乗せてもらえないと分かって嘆く場面で、うっかりなのか、勘三郎とのコメディっぽい芝居でよくやるような低い声と口調になったので、客席から笑いが起こってしまった。俊寛が赦免状に自分の名前がないことで苦悩する場面では、舞台片隅のほとんど目に入らないところにいながら、気を抜かず、ずっと心配そうにハラハラしながら見守っていてよかっただけに残念。東蔵の康頼、歌昇の成経。

幕切れ、岩の上での俊寛の表情に興味がある。勘三郎だったか、うっすら笑いを浮かべた人もあれば、遠い一点をじっと見つめる人もいる。吉右衛門のやり方も常に同じかどうか分からないのだけれど、「寂寞」 という言葉がピッタリくるようないい表情をしていたのに、静けさで終わるべきこの場面で、「大当たり!」 と声をかける輩が…。感じ方は人それぞれだろうけれど、やめてほしかった。

最後になったが、幕開けにプ~ンと海草の匂いがした。吉右衛門が海草の束を手に現れると、いっそう匂いが強くなる。今までもこんな匂いしたかなぁ? ひょっとして、俊寛の小屋の屋根に使われていた海草も本物?

■ 勧 進 帳

これも 「またぁ?」 と思ってしまう演目なわけで、ましてや幸四郎が昨年十一月に九百回目を演じたばかりとなれば、単に記録を伸ばしたいだけなんじゃ? といううがった見方さえしてしまいたくなるのは、あまりに意地が悪いだろうか。でも今日の幸四郎弁慶はちょっと意外だった。大酒を飲み干すあたりはなごやかになる場面だが、それ以外でなぜか笑顔を見せる。たとえば最後、義経一行が無事に花道を入っていったことを確認したところで、うっすらとではなく、はっきりと満足げな笑みをもらす。他にもどこだったか、意外なところで笑ったような…。自分が六法で入っていく直前だったかしらん。そこでも何か違和感を感じたのは、笑顔のせいだったかどうか、記憶がいまいちはっきりしない 。 (今日観てきたばかりなのに!) とにかくなんだか不思議な弁慶だった。

義経は芝翫。なにげに久しぶりだと思ったら、その前は平成11年まで遡る。真紅の半襟がやたらと目立った。さすがの品格。

高麗蔵の亀井、松江の片岡、錦吾の常陸坊と並んで宗之助の駿河。澤村姓が少なくなっている今、宗之助にもっと大きな名前を継がせる意向なのかなぁ、とふと思ったり。

■ 六歌仙容彩 喜撰

勘三郎の喜撰法師に玉三郎のお梶。この幕だけ録画されていた。勘三郎はいたって真面目に踊っていたと思うのだけれど、なぜだか客席は大うけで、なにげない仕草のひとつひとつに笑いが起こる。二人の仲の良さが自然に出ていて、観ていて確かに楽しかったけれど、あんなに笑うような内容ではなかったと思うなぁ。弥十郎を筆頭に所化がたくさん。にぎやかな幕切れ。

終わってみれば、最後のこの幕が一番面白かったかな。

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2007年1月19日 (金)

新春浅草歌舞伎

第一部・第二部を通しで観てきた。
『義経千本桜』 より、第一部は  「すし屋」、第二部は 「渡海屋」 と 「大物浦」、第一部・第二部共通で 『身替座禅』 という演目なので、1日分をまとめて評することにしたい。

まずは 『義経千本桜』 から。同じ物語の中から昼夜で別の話を出すというやり方は、出演者に応じて若い客層が多い浅草には向いているし、気が利いていると思う。年始ご挨拶は第一部が勘太郎、第二部が愛之助だったが、演目が共通していると説明もしやすいだろう。

「すし屋」 では、愛之助の権太に芝のぶのお里、七之助の維盛に男女蔵の弥左衛門。愛之助は、器用さが時にあざとく見えて、薄っぺらになりがちなのが残念だったが、性根を入れ替えてからは骨太さも出て、風姿の良さが際立った。芝のぶのお里は、なによりも可愛らしい個性が生きて、ほほえましい。七之助は線の細さが優男らしさにつながって、弥左衛門と二人になって正座に直る場面で、がらりと様子が変わって武士らしく … はならなかったのと、妻と別にお里とも、という色男ぶりが見えない。愛之助、芝のぶ、七之助と3人とも声がいいので、耳に心地よい舞台だった。男女蔵もこの一座だと老役になってしまうのねぇ。ちょっと気の毒。それにしてもお父さんに似てきたなぁ。時々ビックリするほど似ている。梶原平三景時は獅童。この一座ではこの人しかいないと納得させるだけのものはある。あくまでこの一座なら、だけども。そのほか、嶋之亟のお米、亀鶴の若葉の内侍、國矢の小せん。

「渡海屋」 「大物浦」 を通して、獅童の知盛、七之助の典侍の局、勘太郎の義経、男女蔵の弁慶、亀鶴の相模五郎、愛之助の入江丹蔵。まず獅童の知盛は、銀平の拵えもなかなかにスッキリとしたいい男。ただちょっとカッコつけすぎかな。二枚目であろうとしすぎたかもしれない。知盛になってからはベリベリとした勇壮さがあり、碇をかついでのラストも立派だった。とりあえず及第点。七之助は、ここでも声のよさが光って、安徳帝を抱きかかえて今まさに海に飛び込もうとする場面での朗々とした台詞が凛としていて素晴らしかった。船宿の女房に身をやつしている間は、もうちょっと柔らかさがほしいかな。客商売にはまったく向かない女性に見えた。亀鶴と愛之助のコンビは息も合い、魚尽くしの台詞は大ウケだった。ただ、亀鶴がわざと野暮ったい衣裳で情けない侍を演じているのに、愛之助の方はその家来のくせにやけにスッキリしたいでたちだったのがアンバランスに感じた。勘太郎の義経は気品もあり情も見せて立派。弁慶姿の男女蔵がまたパパに似てるんだぁ。

出演者が全員若いので、歴史物の重みはあまり感じられず、ハツラツとしすぎている感もあるけれど、そこはまぁ、浅草ならではの味だから。

『身替座禅』 は、第一部・第二部ともに勘太郎が山蔭右京を演じる。なぜ??? 第一部は獅童の玉の井に七之助の太郎冠者、第二部は愛之助の玉の井に亀鶴の太郎冠者と役を替えているのに、主役だけ替えないなんて、ちょっともったいない。勘太郎の右京は若いながらも大名らしい気品があり、愛嬌もたっぷりながらやりすぎず、実に結構で何度でも観たいと思うぐらいではあったけれど、でもやっぱり、別の人でも観てみたい。それが浅草の楽しさでもあるのに。上置き扱いの男女蔵は別としても、亀鶴の役が第一部・第二部ともに他の人より軽すぎるぐらいなのだから、第二部では亀鶴の右京に勘太郎の太郎冠者でも良かったんじゃないか。亀鶴は稚魚の会・歌舞伎会の研修公演では大きな役もやっていたから個人的にはすごく買っているひとりで、一般的にはまだそれほど知名度は高くないのかもしれないけれど、そこは浅草、ぜひもっと重く用いてあげてほしかった。左團次さん贔屓の私としては、男女蔵さんにもぜひ本興行でもっと大きな役をやってほしいのだけれど…。

玉の井は、獅童も愛之助も、滑稽な化粧をせずごく普通のこしらえで、それぞれになかなか可愛らしい。獅童の女形というとどうしても強烈だった牛娘を思い出してしまうのだけれど、あの時のようなとんでもないことはしていないのに、やたらと客席がわく。特に若い女性の笑い声が目立った。私生活でゴタゴタしてはいても人気の方はまずまずらしい。愛之助も、こちらの役ではあざとさはなく、やりすぎないのが良かった。どちらかというと、獅童とは対照的にオバサマ層にウケていたみたい。

太郎冠者は、七之助と亀鶴の間でハッキリとカラーが違って面白かった。もし太郎冠者のほかにも朋輩が数人いるとしたら、七之助はその中でも目端が利いて要領よく立ち回るエリートタイプ、亀鶴の方は、生真面目でそれほど目立たないんだけれど殿様にはその真価をきちんと評価されている堅実タイプ。殿様が勘太郎だから、息が合っているのはやっぱり七之助の方なのだけれど、勘太郎と七之助って声のトーンが高いところまで似ているから、ポンポンとスピーディーに台詞のやりとりが続く場面ではちょっとキンキンした印象になる。その同じ場面が亀鶴だと、声のトーンも違うし台詞と台詞の間合いも若干長めになって聴きやすい。こんなふうに比べることができるのも浅草の楽しさかな。

千枝小枝は共通して國久と蝶紫。控えめで美しい。

最後にどうしても特筆しておきたいことがある。共通して後見を勤めた國矢のたたずまいが実に端正で、ため息が出ちゃうほどだった!

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