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2007年2月 3日 (土)

歌舞伎座一月 夜の部

■ 廓三番叟

お正月の歌舞伎座の舞台に雀右衛門の華やかな傾城姿。それだけでもう満足。しかも芝雀が新造のひとりで雀右衛門の手を引く。父子が同じ舞台に立ってこのような形で接触することがよくありそうでそうないだけに、なんだか胸が熱くなってしまった。同じく新造の孝太郎は表情が硬い。なにやらとんでもないことを企ててでもいるような顔つきに見えた。普段から硬質な人ではないはず。疲れていたのかもしれない。

魁春が出て舞台がしまる。そこへ富十郎。おめでたい一幕。

■ 金 閣 寺

これまであまり好きな芝居ではなかった。豪華な舞台面にも心が動くことがなかった。ところが今回は違った。大膳の幸四郎に吉右衛門の東吉。仁木と男之助ではほとんどすれ違いだった二人が碁盤をはさんで相対する。鬼藤太の弥十郎と正清の左團次さんは、ともに大柄なこともあって時に役がかぶることがあり、それほど頻繁に同じ舞台に立っていない気がするのだけれど、今回はどちらも大きさの必要な役で、まったく違う個性でそれぞれに脇を固めていた。慶寿院の東蔵も品格があり立派。直信は梅玉で、黒の着物に浅葱の半衿がよく似合う。この配役の中で玉三郎の雪姫。嗜虐美の完成形。圧巻。最前列の席では手を伸ばさずとも膝にはらはらと花びらが落ちてくるほどに舞い散る桜のもと、抗えば抗うほど食い込む縄に身悶える姿は強烈な印象を残す。贅沢な舞台だなぁ、と感じ入った。

■ 春興鏡獅子

何度となく観ているので、特に強い期待を抱いていたわけではないのだけれど、弥生の時からすでに勘三郎の顔が違った。いつもより神妙というか、なにかこう得たいの知れない 「恐れ」 を感じているような…。踊りってよく分からなくて、正直、弥生の踊りっていつもただボ~ッと見てしまうのだけれど、ただ美しかったり可愛らしかったりするのでなく、なにかこう、うまく説明できない部分でいつもと違っていた。手にした獅子頭が生きているかのように動き出した瞬間の驚きの表情といい、獅子頭に引きずられるように花道を入っていくときの体の動きといい、凄みさえ感じるかつて見たことのないような弥生だった。

獅子として再登場した後も、最初の方のゆっくり毛を振る場面では、1回1回、毛の流れを確認しているのが目の動きでハッキリ見て取れた。休んでいる間の形も美しい。そして最後の見せ場というべき毛振りに入ると、いつもより腰の位置が高く、初めは体調でも悪いのかと思ったぐらいだったのだけれど、おそらく最初から、千秋楽だったこともあり、たくさん振ってやろうとわざと腰の位置を調整したんじゃないかと思う。1回2回と数えていたのに途中から分からなくなってしまったぐらいで、後ろの鳴物さんたちや後見の山左衛門さえハラハラしているように見えた。客席がどよめく。それでも勘三郎は回し続ける。大きな拍手。まだまだまだまだ。だんだん心配になってくる。まだ回っている。拍手がいよいよ大きくなる。そのピークにドン!と勘三郎が足を鳴らし、大きく振りかぶった。拍手の嵐。ただ、さすがの勘三郎もあれほど回した直後に片足でバランスをとるのは難しく、静止すべき足がブルブル震え、そのまま幕となった。たくさん回せばいいというものでもないのだろうけれど、それで客席がわくのは事実だし、最後に静止できなかったことで点が落ちるとは思わない。いやぁ、いいもの観ちゃったなぁ、というのが正直な感想だったし、幕が下りると抱き合って泣いてるご贔屓がたくさんいたし。この人たちが出待ちをするために大挙していなくなってしまったのは次の幕の役者に失礼だろうと思ったけれど、まぁ個人の勝手だから文句も言えないし…。

胡蝶は宗生と鶴松。2人のバランスもよく、ともに達者できちんきちんとした踊り。弥生を引っ張り出す女官に歌江と歌女之丞。対する家老と用人は芦燕と猿弥。お年玉のような嬉しい一幕だった。

■ 切られお富

悲しかった。宗十郎の素敵なお富が今も目に残っているだけに、福助のお富はとてもとても悲しかった。いわゆる 「悪婆物」 に属する芝居で、「悪婆」 というのは、ややトウが立った年代で、惚れた男のために悪事を働く女を意味するもので、あくまで 「惚れた男のために」 というところがミソで、「性根が悪い女」 ではない。福助も与三郎のためという気持ちは十分に見せているのだけれど、憎々しい口のきき方がわざとらしいためにコメディになってしまい、実際、客席から始終笑いが起こる。それを 「ウケているから大成功」 と思ってほしくない。最初からこの路線を狙ったもので、こんな演じ方があってもいいじゃないか、というならもう何も言うことはないけれど、私は好きじゃなかった。

福助は大抵、発声の仕方や台詞回しで役柄を現そうとする。もともとよく通る美しい声をしているのに、姫なら苦しげなほど高い声で、武家の女房になると聞き取りにくいぐらいに口をすぼめてくぐもった声で、おきゃんな町娘やコメディエンヌ的な役だと、時にドスをきかせたような太い声で。今回のお富では、与三郎を想う女になっている間は普通のいい声なのに、「切られお富」 としての台詞はすべてドスをきかせたダミ声。こうした演じ分けの仕方は確かに分かりやすい。でも本来は、こんなに極端に発声の仕方を変えずとも、トータルな演技で十分に演じ分けられるはずだし、そうあるべきなんじゃないかと思う。福助に対しては以前からこの点が疑問だった。「切られお富」 という芝居が福助に合っていないとは思わない。むしろ、今この役をできるのは他にあまりいないかもしれないとさえ思う。だからこそ、今回のような演じ方はしてほしくなかった。

橋之助の与三郎、弥十郎の蝙蝠安に歌六の赤間。

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