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2007年4月27日 (金)

歌舞伎座四月 夜の部

■ 源平布引滝 実盛物語

ビックリした! だってまさかこの芝居でいまさら泣くとは思っていなかったんだもの! しかも何度もウルウルしてしまったのだ。確かに、十数年ずっと三階席専門で、一階で観るようになってからまだ何年も経っていないから、何度も三階で観た芝居が一階で観るとまったく別物で泣けてしまうことは度々ある。この芝居もそうか? と筋書を見ると、前回は平成16年の10月。同じ仁左衛門の実盛に左團次さんの妹尾、太郎吉は男寅ちゃんだ。う~ん、その頃にはもう一階で観ていただろうか? 記憶が定かではない。幕切れに馬に乗せてもらって嬉しそうな男寅ちゃんが可愛くてしょうがなかったことはハッキリ覚えているのだけれど…。

とにかく良かったのだ。仁左衛門の実盛もかつてないほど素晴らしかったし、これまで瀬尾が左團次さんじゃないと寂しかったのに、弥十郎の瀬尾が太郎吉に  「爺じゃ、爺じゃぞ」 と言う場面では泣かされてしまった。九郎助が亀蔵と分かった時には老役なんてまだ早すぎると思ったのに、何の違和感もなく、いい九郎助だったのが驚きでもあり、亀蔵と同い年なので複雑な気持ちもあり…。太郎吉は千之助。可愛かったなぁ。孫との共演。仁左衛門が若々しいからピンとこないけど。花道を馬に乗って引き上げる場面で、なかなか言うことをきかない馬に、やさしげに微笑んで背をなでてやる、その仕草がなんともいえず良かった。涼やかさと爽やかさに優しさと柔らかさが加わるんだもの、ほとんど無敵。

■ 口上

ずらりと並んだ総勢23人。仕切りは富十郎で、昼の部の劇中の口上では合引を使っていたが、こちらは正座しているものの、よく見ると富十郎だけ緋毛氈と同じ赤い色の座布団を何枚か二つ折りで膝の間に挟んでいた。人一倍元気な富十郎も78歳になるのだものねぇ。新錦之助が十年前に自分のところへ教えをこいに来たことを語り、それ以来、「一緒に勉強してきた」 という富十郎。この姿勢はすごいと思う。 隣りの雀右衛門は今月この口上だけで、人数が多い分、長々と続くその間、ジャックの右肩がどんどん下がってくるのでハラハラしてしまった。もうすぐ87歳だものねぇ。くれぐれも無理をさせないであげてほしい。

萬屋一門がズラリと並ぶことなんて滅多にないから、それだけでもなんだか嬉しくなってしまう光景だった。ただ、獅童ってば唇を黒くしていて、すっごく不自然! 隼人クンは前髪姿が初々しい。新錦之助の人柄そのままにすがすがしい口上だった。

■ 双蝶々曲輪日記 角力場

新錦之助の襲名披露としては、「菊畑」 の虎蔵と「魚屋宗五郎」 の主計之助に加えて、この幕の与五郎 ・ 放駒長吉の二役。ほとんど出ずっぱりとなるこの幕での活躍ぶりは目を見張るものがあった。与五郎は前にも演じているし、おっとりとした役柄でニンに合っている。与五郎がニンに合うということは線が細いということで、それゆえに与五郎と放駒の二役となると難しいわけだが、これがどうしてどうして、こんなにいいとは思わなかった、と失礼な感想を抱いたくらいに良かった。襲名の魔力だろうか。もともと真摯に、ひたむきに演じる人ではあったけれど、ここまで気合の入った力強いこの人を観たことはなかったような気がする。ここしばらくの襲名はいずれも順当というか、ああおめでたいね、よかったね、で終わっていたけれど、襲名を機に劇的な変化を予感させてくれたのは魁春以来じゃないだろうか。それまでむしろ後ろの方で控えていた人が自信を持って光の中へ自分から踏み出してくる。ひと回り大きくなったように見える。今後に期待せずにいられなくなる。う~ん、これだから襲名って不思議だ。

濡髪は富十郎。放駒と対照的に動きのほとんどない役ながら、声のよさが際立つ。吾妻は福助で、吾妻と与五郎のジャラジャラしたやりとりを苦笑しながら見守る仲居の歌江、芝喜松、京蔵の雰囲気がいい。蔵屋敷の侍二人組は弥十郎と獅童で、悪になりすぎず、自然なのが良かった。茶屋の亭主は東蔵。濡髪の弟子は蝶十郎と隼人クン。

新錦之助の放駒、もうしばらくしたらまた観てみたい!

■ 新皿屋敷月雨暈 魚屋宗五郎

勘三郎の宗五郎、勘太郎の三吉、七之助のおなぎと中村屋父子がそろい、時蔵のおはま、錦吾の太兵衛、松之助の典蔵、我當の家老に新錦之助のお殿様。

中村屋はいつもどおりの熱演なんだけど、その熱演が暑苦しいというか、作りこみすぎてあざとくなってしまうというか、必要以上にコミカルになってしまうために興がそがれてしまうというか…。ご家老の前で寝転がっていい心持で鼻歌をもらす辺りは中村屋ならではのいい感じだったし、時蔵との息がピッタリだから、宗五郎が庭で酔いを醒ましておはまの膝枕で寝ている姿なんてすっごく絵になっていたし、他にもいい場面はたくさんあったのだけれど、全体としては、なんかこう、しっくりこないんだよねぇ。やっぱり宗五郎は菊五郎で観たい。

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歌舞伎座四月 昼の部

中村信二郎改め二代目中村錦之助襲名披露 四月大歌舞伎

■ 當年祝春駒 (あたるとしいわうはるこま)

曽我物語がそのままそっくり踊りになっているので、踊りというよりほとんど芝居を観ているのと同じ感覚で楽しめる。工藤役の歌六と茶坊主役の種太郎を別にすれば、獅童 ・ 勘太郎 ・ 七之助の3人がそろうとまるで浅草歌舞伎のよう。それでも歌舞伎座という劇場はやはり特別なのか、3人とも浅草で観るより大人びて見えるから不思議。

工藤が五郎 ・ 十郎兄弟に渡す 「狩場の切手」 って、表面にそのまま  「切手」 って書いてあるのね。そういうもん? 切手って、単なる普通名詞で、「狩場入場証」 とか 「工藤なにがしのなんたら」 とか書いてあるのが本来なんじゃ? まぁ、別にどうでもいいことなんだけどぉ。

■ 頼朝の死

何度観ても、暗がりの中で頼家がひとり御簾越しに月を見上げている場面は冴え冴えとして美しいと思う。

梅玉の頼家、歌昇の重保、福助の小周防という組み合わせは6年前の同じ4月の舞台とまったく同じで、その時も観ている。だがまったく別の舞台のように感じられた。まずなによりも、今までこの芝居はずっと頼家の気持ちになって観ていたのだけれど、今回は最初から最後まで重保が気の毒でならず、しまいには頼家に対して憤りまで感じてしまったのだった。重保が重苦しい秘密をひとりで抱えきれずに小周防にぶつけてしまったのがさらに悲劇を招いたとはいえ、ああまで執拗に責め立てなくたっていいじゃないか、と、前回まではこんなこと思わなかったはずなんだけどなぁ。単に私が年をとるにつれて感じ方が変わっただけなのかしらん?

それはそれとして、耐え難かったのが福助の変化だ。前回はほとんど記憶にないぐらいだから普通に演じていたと思う。ところが今回は、一体どうしちゃったの? と思わず眉間にシワが寄ってしまったのだ。まず最初に頼朝の三回忌法要が営まれている法華堂の門前で重保に行き会い、自分の贈った歌を読んでくれたかと恥ずかしそうに尋ねる場面で、福助の小周防はクネクネと身体をしならせ鼻声を出す。まるでコントを見ているようだった。「もとはお姫様だったことを忘れないように」 という真山美保の教えを胸に演じる、というようなことを筋書で言っているが、とても姫の動きではない。さらに後半、真相を明かせば重保と添わせてやるとの頼家の言葉に心が揺れる、ここまでは良かったし、派手に泣き崩れる場面も不自然さはなかった。ところが、重保が自分も小周防に思いを寄せている、と口にした途端、舞い上がる気持ちを表現しようとしたのだろうけれど、口を開いたまま目が宙を泳いでにやつく顔がどうにもいけない。どうして最近の福助はこう大事な場面をマンガチックにしてしまうのだろうか。

■ 男女道成寺

ブラボー! 文句なしに楽しかった! これまでに観たことがあるのは菊五郎と丑之助時代の菊之助の父子コンビと、橋之助 ・ 福助の兄弟コンビだけだったので、まず仁左衛門と勘三郎という顔合わせが新鮮。仁左衛門の女形といえばすぐに思い浮かぶのは 「先代萩」 の八汐で、桜子として登場する白拍子姿の仁左衛門は、顔だけ見ると八汐に近かったりもするのだけれど、烏帽子が落ちて男であることが知れ、狂言師左近として再登場する場面で、一瞬にして舞台がパッと明るくなったように感じられた。この明るさ、爽やかさ、涼やかさはこの人ならではのものだろう。勘三郎の道成寺はもう見慣れているはずなのに、仁左衛門と並ぶといっそう可愛らしく、乙女チックに見えてくる。普段から仲のいい2人だけに息もピッタリで、鈴太鼓の音も気持ちのいいぐらいに重なり合う。丸に二の字の紋を配した仁左衛門の鈴太鼓は真新しく、勘三郎の鈴太鼓は使い込まれているのが一目で分かるのも面白い。この幕用に作られた手拭いもしっかりゲットできたし、嬉しく楽しい一幕だった。

■ 鬼一法眼三略巻 菊畑

この場の鬼一法眼が 「四の切」 で義経を匿っている法眼館の主であり、遡れば鞍馬山で牛若丸に剣術を教えていたのも鬼一であること、奴姿で義経すなわち虎蔵に従う鬼三太が鬼一の弟であり、鬼一と鬼三太が互いに腹の探り合いをしていることなど、背景が分かっていないと何がなんだか分からないのがこの芝居。そしてまた、何度か観ていて背景はしっかり分かっているはずなのに、この場だけポンと出されるとやっぱり入り込めないままに終わってしまう。おそらくこの演目が繰り返し上演されるのは、筋がどうとか芝居としての見所がどうとかいうことでなく、顔合わせこそが眼目なのだろう。若武者姿の虎蔵、色奴の鬼三太、貫禄十分の座頭格の鬼一、赤姫の皆鶴姫、公家悪の淡海と、様々な役柄がそろい、一堂に会する。そのいかにも歌舞伎らしい絵面を楽しむものなのだろう。その意味では、新錦之助の虎蔵、吉右衛門の鬼三太、富十郎の鬼一、時蔵の皆鶴姫、歌昇の淡海と役者がそろって見ごたえがあった。

前回、左團次さんの鬼一は花道から出てきたが、今回は上手の奥院から出てくる。病に臥せっていた鬼一が久々に体調がいいので花を見にくるという設定を考えると、奥院から腰元に手を引かれてよろよろと出てくる今回の形の方が理にかなっている。

淡海に言い寄られて皆鶴姫が嫌がる場面、時蔵の皆鶴姫のもう本当にイヤでイヤで仕方がないという表情が印象的だった。

劇中で口上。富十郎は今月の舞台で膝を痛めてしまい正座ができないそうで、合引を使っていた。劇中の口上は、口上が終わって何もなかったように芝居に戻るところが楽しい。

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2007年4月20日 (金)

御園座 陽春花形歌舞伎

■ 通し狂言 盟三五大切

この舞台を見逃す手はないという知人2人の熱い勧めもあって、日帰りの強行軍で観に行ってきた。そして、来てよかったと心から思った。

この芝居は過去にも何度か観ているのだけれど、趣向は面白いと思うものの、芝居としてはピンとこないというか、懲りすぎというか、好きになれなかった。それが今日の舞台はまるで違っていた。文句なしに面白かったし、なにより共感できたのだ。小万にも、源五兵衛にも、三五郎にも、八右衛門にも。その結果、気持ちが深く入り込んで心が揺さぶられた。それがこれまでの舞台とは一番違っていた。

これまでの源五兵衛は、ただの意地ずくで行動していたと思う。少なくともそう見えた。武士が町人に騙された。面子をつぶされた。そうした怒りが前面に出ていたから、女性の視点から共感できなかった。ところが三津五郎の源五兵衛は違った。今日の舞台で一番印象的だった場面でもあるのだが、我が手で打ち落とした小万の首を懐に抱いて、ゆっくりゆっくり花道を入っていく場面で、これまでの源五兵衛が 「してやったり」 と勝利の微笑みのような凄みのある表情を見せていたのに対し、三津五郎はいかにも愛おしそうに懐の首を見つめる。この人は本当に心から小万を愛していたのだ、だからこそ小万の裏切りが許せなかったのだと、その心情がしみじみと分かる。小万の腕の彫り物が  「五大力」 から 「三五大切」 に変えられていたことを知った時の驚きようは、それまでは心のどこかにまだ小万を信じたい気持ちがあったのではないかと思わせる。小万は純粋だった。純粋に三五郎を愛して、自分がまさに命を落とそうとする今わの際でさえ三五郎の命乞いをするほどに一途に三五郎を愛していた。だからこそ源五兵衛には小万が許せなかったのだと、ストレートにその哀しみが伝わってきて、なんとも切ない思いがしたのだった。

小万の首を傍らにおいて悠然と食事をする場面は、源五兵衛の非道さを見せる趣向のように思っていたのだけれど、三津五郎の源五兵衛は、「こうしてお前と二人で食事をしようと思っていたに」 と、小万の首に語りかけるその言葉にあたたかみがあって、残忍さは感じなかった。首がパックリ口を開けた途端に客席がわくのはいつものことだが、特に隣りの女性はツボにはまってしまったらしく、そのあとしばらく笑いが止まらなかった。確かに菊之助、思いっきり開いてたからなぁ。

三津五郎の衣装もよかった。茄子紺というのだろうか、黒でなく、紫がかって、ちょっと紗がかかったような…。裾や袖口からのぞく朱も、派手な朱でなく茶色がかって、その抑えた色見が役によく合っていた。

冒頭の男女蔵と團蔵の台詞はよく聞こえなかったのだけれど、その後すぐに菊之助と橋之助が出てからはそんなこともなく、全体的なまとまりのよさが舞台の安定感につながっていた。配役の妙。ひとりひとりがそれぞれの役にはまっているだけでなく、相互のバランスも実によくとれていた。殺し場となる虎蔵の家で仲間が集まっている場面も、この連中は日頃からこんなふうに集まって騒いでいるのだろうという生活感があったし、亀三郎の八右衛門のひたむきな忠義ぶりも、まったく嫌味がなく自然で、源五兵衛の罪をかぶって引かれていく八右衛門に源五兵衛が手ぬぐいで頬かむりをさせてやる、その無言の仕草に主従の絆が感じられた。そうしたひとつひとつのことが積み重なって芝居の空気を作っていく。その空気が感じられない舞台は寒々として心に入ってこない。芝居の重層性? うまく言えないのだけれど、芝居の背景となる世界がきっちり立ち上がっているからこそ本筋の物語がくっきりと浮かび上がる。そんなことを感じた。

橋之助の声ってこんなに高かったっけ? と思う場面が何度かあって、特に前半、源五兵衛を騙そうと策略するあたりではわざとらしいようにも感じた。それでも彼の古風な顔立ちは強力な武器だなぁ。菊之助との相性もいい。本当は俺も怖かったよ~、とブルブル身体をふるわせる場面はおかしくて、こんなところに小万は惚れちゃったのかしらん、と思ったり。

そうそう、大事なことを書くのを忘れていた。これまでやたらと小難しく分かりにくく感じていた芝居だったのに、今回の舞台ですっきり雲が晴れてしまったのだ。これは先に観て熱く語ってくれた知人の言うとおりだった。筋書を読んで、「忠臣蔵」 と 「四谷怪談」 で大当たりした直後に一番人気の三代目菊五郎が窮地に陥った南北が苦肉の策として、「忠臣蔵」 の余勢を借りつつ 「五大力」 の書換にさらに 「四谷怪談」 の印象も盛り込む離れ業、との成り立ちが分かると、「やるなぁ、南北」 とにんまりせずにいられない。観たかったなぁ、初代辰之助の源五兵衛!! 今回の舞台、ぜひ歌舞伎座での再演を、という気持ちはあるものの、今回とまったく同じ配役で、というわけにはいかないだろうから、そうなると再演されてもまったく別の舞台になってしまうかもしれない。ああ、やっぱり観にいってよかった!

■ 芋堀長者

平成17年の同じ橋之助と三津五郎のコンビでの上演を観ているので目新しさはないものの、菊之助も加わって、前の舞台のメインが全員そろうところがすごい。特に三津五郎は前の舞台で大家との二役だったから、ほとんど出ずっぱりの大奮闘。幕が開くと一面の金襖で、後ろの方から 「や~っぱり名古屋は金ピカじゃねぇとな」 という声が聞こえたので笑ってしまった。美しい赤姫姿で登場した菊之助に、隣りの女性は 「かわいい~! でもどうしてもさっきの口パックリを思い出しちゃう~!」 とまた笑い続けていた。彼女きっと、当分の間は思い出し笑いしそうだな。全員のお尻フリフリが大受け。「あ~ん、帯で見えない~!」 と、隣りの彼女は菊之助のお尻も見たがっていた。楽しい人がお隣りでよかった。

… というわけで、大満足の御園座であった。余談ながら、歌舞伎座でも国立劇場でも、確か新橋演舞場でも、所作台の板は大道具さんが2人1組で花道と並行に持って運んでくるけど、御園座では1人ずつ肩にかついで運んでくる。その姿がカッコよかった!

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