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2007年4月20日 (金)

御園座 陽春花形歌舞伎

■ 通し狂言 盟三五大切

この舞台を見逃す手はないという知人2人の熱い勧めもあって、日帰りの強行軍で観に行ってきた。そして、来てよかったと心から思った。

この芝居は過去にも何度か観ているのだけれど、趣向は面白いと思うものの、芝居としてはピンとこないというか、懲りすぎというか、好きになれなかった。それが今日の舞台はまるで違っていた。文句なしに面白かったし、なにより共感できたのだ。小万にも、源五兵衛にも、三五郎にも、八右衛門にも。その結果、気持ちが深く入り込んで心が揺さぶられた。それがこれまでの舞台とは一番違っていた。

これまでの源五兵衛は、ただの意地ずくで行動していたと思う。少なくともそう見えた。武士が町人に騙された。面子をつぶされた。そうした怒りが前面に出ていたから、女性の視点から共感できなかった。ところが三津五郎の源五兵衛は違った。今日の舞台で一番印象的だった場面でもあるのだが、我が手で打ち落とした小万の首を懐に抱いて、ゆっくりゆっくり花道を入っていく場面で、これまでの源五兵衛が 「してやったり」 と勝利の微笑みのような凄みのある表情を見せていたのに対し、三津五郎はいかにも愛おしそうに懐の首を見つめる。この人は本当に心から小万を愛していたのだ、だからこそ小万の裏切りが許せなかったのだと、その心情がしみじみと分かる。小万の腕の彫り物が  「五大力」 から 「三五大切」 に変えられていたことを知った時の驚きようは、それまでは心のどこかにまだ小万を信じたい気持ちがあったのではないかと思わせる。小万は純粋だった。純粋に三五郎を愛して、自分がまさに命を落とそうとする今わの際でさえ三五郎の命乞いをするほどに一途に三五郎を愛していた。だからこそ源五兵衛には小万が許せなかったのだと、ストレートにその哀しみが伝わってきて、なんとも切ない思いがしたのだった。

小万の首を傍らにおいて悠然と食事をする場面は、源五兵衛の非道さを見せる趣向のように思っていたのだけれど、三津五郎の源五兵衛は、「こうしてお前と二人で食事をしようと思っていたに」 と、小万の首に語りかけるその言葉にあたたかみがあって、残忍さは感じなかった。首がパックリ口を開けた途端に客席がわくのはいつものことだが、特に隣りの女性はツボにはまってしまったらしく、そのあとしばらく笑いが止まらなかった。確かに菊之助、思いっきり開いてたからなぁ。

三津五郎の衣装もよかった。茄子紺というのだろうか、黒でなく、紫がかって、ちょっと紗がかかったような…。裾や袖口からのぞく朱も、派手な朱でなく茶色がかって、その抑えた色見が役によく合っていた。

冒頭の男女蔵と團蔵の台詞はよく聞こえなかったのだけれど、その後すぐに菊之助と橋之助が出てからはそんなこともなく、全体的なまとまりのよさが舞台の安定感につながっていた。配役の妙。ひとりひとりがそれぞれの役にはまっているだけでなく、相互のバランスも実によくとれていた。殺し場となる虎蔵の家で仲間が集まっている場面も、この連中は日頃からこんなふうに集まって騒いでいるのだろうという生活感があったし、亀三郎の八右衛門のひたむきな忠義ぶりも、まったく嫌味がなく自然で、源五兵衛の罪をかぶって引かれていく八右衛門に源五兵衛が手ぬぐいで頬かむりをさせてやる、その無言の仕草に主従の絆が感じられた。そうしたひとつひとつのことが積み重なって芝居の空気を作っていく。その空気が感じられない舞台は寒々として心に入ってこない。芝居の重層性? うまく言えないのだけれど、芝居の背景となる世界がきっちり立ち上がっているからこそ本筋の物語がくっきりと浮かび上がる。そんなことを感じた。

橋之助の声ってこんなに高かったっけ? と思う場面が何度かあって、特に前半、源五兵衛を騙そうと策略するあたりではわざとらしいようにも感じた。それでも彼の古風な顔立ちは強力な武器だなぁ。菊之助との相性もいい。本当は俺も怖かったよ~、とブルブル身体をふるわせる場面はおかしくて、こんなところに小万は惚れちゃったのかしらん、と思ったり。

そうそう、大事なことを書くのを忘れていた。これまでやたらと小難しく分かりにくく感じていた芝居だったのに、今回の舞台ですっきり雲が晴れてしまったのだ。これは先に観て熱く語ってくれた知人の言うとおりだった。筋書を読んで、「忠臣蔵」 と 「四谷怪談」 で大当たりした直後に一番人気の三代目菊五郎が窮地に陥った南北が苦肉の策として、「忠臣蔵」 の余勢を借りつつ 「五大力」 の書換にさらに 「四谷怪談」 の印象も盛り込む離れ業、との成り立ちが分かると、「やるなぁ、南北」 とにんまりせずにいられない。観たかったなぁ、初代辰之助の源五兵衛!! 今回の舞台、ぜひ歌舞伎座での再演を、という気持ちはあるものの、今回とまったく同じ配役で、というわけにはいかないだろうから、そうなると再演されてもまったく別の舞台になってしまうかもしれない。ああ、やっぱり観にいってよかった!

■ 芋堀長者

平成17年の同じ橋之助と三津五郎のコンビでの上演を観ているので目新しさはないものの、菊之助も加わって、前の舞台のメインが全員そろうところがすごい。特に三津五郎は前の舞台で大家との二役だったから、ほとんど出ずっぱりの大奮闘。幕が開くと一面の金襖で、後ろの方から 「や~っぱり名古屋は金ピカじゃねぇとな」 という声が聞こえたので笑ってしまった。美しい赤姫姿で登場した菊之助に、隣りの女性は 「かわいい~! でもどうしてもさっきの口パックリを思い出しちゃう~!」 とまた笑い続けていた。彼女きっと、当分の間は思い出し笑いしそうだな。全員のお尻フリフリが大受け。「あ~ん、帯で見えない~!」 と、隣りの彼女は菊之助のお尻も見たがっていた。楽しい人がお隣りでよかった。

… というわけで、大満足の御園座であった。余談ながら、歌舞伎座でも国立劇場でも、確か新橋演舞場でも、所作台の板は大道具さんが2人1組で花道と並行に持って運んでくるけど、御園座では1人ずつ肩にかついで運んでくる。その姿がカッコよかった!

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コメント

本当に今回の芝居は、とてつもなくわかりやすかったですね。
私も目からウロコ状態でした。
それもこれも、やっぱり三津五郎の源五兵衛がこれまでと異なるからでしょうか。小万を愛していることがあんなに素直にわかる源五兵衛は今まで見たことがありませんでしたが、いざそう演じられると、これほどリアルで心に迫る舞台になるのか…という気持ちでいっぱいです。
遠征してもみる値打ちのある舞台だったとお感じになられたとのこと、とても嬉しいです。
かくいう私も、未だに舞台にとらわれたまま…(笑)
あと、味噌煮込みうどん、私もチャレンジすればよかったなー、と日記を読んでちょっと悔しかったり(笑)

投稿: ぽん太 | 2007年4月20日 (金) 07時06分

いいですねー
>三津五郎はいかにも愛おしそうに懐の首を見つめる。
>この人は本当に心から小万を愛していたのだ
今月は前半遊びすぎて、今はままならぬ身ですが
観たいなぁ・・・。
こういう花道の入りが心に残るっていうのは絶世の色悪
なのではないでしょうか。

>「五大力」 から 「三五大切」 に変えられていたことを
>知った時の驚きようは、それまでは心のどこかにまだ
>小万を信じたい気持ちがあったのではないかと思わせる
言われてみれば、いままで観た源五兵衛でここが印象に
残る人はいなかったなあ。タイトルになるぐらいの場面で
すよね。源五兵衛の恋の熱さと三五郎、小万の皮肉な
クールさとの交錯。うーん、やっぱり源五兵衛はとことん
小万にほれ抜く芝居やないとあかんのですなぁ。

投稿: 花標 | 2007年4月21日 (土) 00時45分

そうそう、これまではただ 「盟」 1文字で 「かみかけて」 だなんて凝ってるなぁ、と思っていただけだったのに、今回は 「三五大切」 というタイトルがストンと腑に落ちるというか、ずず~んと大きく印象付けられたというか、うまく言えないんですが、そんな気がしました。小万は常に源五兵衛に悪い悪いと気にしてましたし、あくまで三五郎のお主のために仕方のないこと、と自分を納得させていたので、「妲己」 の印象は薄く、ただただ純愛の人という感じ。三五郎も勘当をといてもらいたい一心で、やっぱり純粋なんですよね。クールではなく、逆に純粋すぎてアチチチチ、みたいな。源五兵衛も限りなく純粋だし、それぞれの思いが純粋であるがゆえにボタンひとつ掛け違ってしまった結果の悲劇が際立つという…。いまでも時々ふっと花道の源五兵衛が目に浮かびます。その周囲にはやさしい空気が漂っている。自ら殺した女の首を懐に抱いた男にやさしさなんて矛盾しているようにも思えるのですけれど、それほどに小万への愛おしさが伝わってきたんですよねぇ…。

投稿: まる | 2007年4月21日 (土) 13時19分

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