2007年4月27日 (金)

歌舞伎座四月 夜の部

■ 源平布引滝 実盛物語

ビックリした! だってまさかこの芝居でいまさら泣くとは思っていなかったんだもの! しかも何度もウルウルしてしまったのだ。確かに、十数年ずっと三階席専門で、一階で観るようになってからまだ何年も経っていないから、何度も三階で観た芝居が一階で観るとまったく別物で泣けてしまうことは度々ある。この芝居もそうか? と筋書を見ると、前回は平成16年の10月。同じ仁左衛門の実盛に左團次さんの妹尾、太郎吉は男寅ちゃんだ。う~ん、その頃にはもう一階で観ていただろうか? 記憶が定かではない。幕切れに馬に乗せてもらって嬉しそうな男寅ちゃんが可愛くてしょうがなかったことはハッキリ覚えているのだけれど…。

とにかく良かったのだ。仁左衛門の実盛もかつてないほど素晴らしかったし、これまで瀬尾が左團次さんじゃないと寂しかったのに、弥十郎の瀬尾が太郎吉に  「爺じゃ、爺じゃぞ」 と言う場面では泣かされてしまった。九郎助が亀蔵と分かった時には老役なんてまだ早すぎると思ったのに、何の違和感もなく、いい九郎助だったのが驚きでもあり、亀蔵と同い年なので複雑な気持ちもあり…。太郎吉は千之助。可愛かったなぁ。孫との共演。仁左衛門が若々しいからピンとこないけど。花道を馬に乗って引き上げる場面で、なかなか言うことをきかない馬に、やさしげに微笑んで背をなでてやる、その仕草がなんともいえず良かった。涼やかさと爽やかさに優しさと柔らかさが加わるんだもの、ほとんど無敵。

■ 口上

ずらりと並んだ総勢23人。仕切りは富十郎で、昼の部の劇中の口上では合引を使っていたが、こちらは正座しているものの、よく見ると富十郎だけ緋毛氈と同じ赤い色の座布団を何枚か二つ折りで膝の間に挟んでいた。人一倍元気な富十郎も78歳になるのだものねぇ。新錦之助が十年前に自分のところへ教えをこいに来たことを語り、それ以来、「一緒に勉強してきた」 という富十郎。この姿勢はすごいと思う。 隣りの雀右衛門は今月この口上だけで、人数が多い分、長々と続くその間、ジャックの右肩がどんどん下がってくるのでハラハラしてしまった。もうすぐ87歳だものねぇ。くれぐれも無理をさせないであげてほしい。

萬屋一門がズラリと並ぶことなんて滅多にないから、それだけでもなんだか嬉しくなってしまう光景だった。ただ、獅童ってば唇を黒くしていて、すっごく不自然! 隼人クンは前髪姿が初々しい。新錦之助の人柄そのままにすがすがしい口上だった。

■ 双蝶々曲輪日記 角力場

新錦之助の襲名披露としては、「菊畑」 の虎蔵と「魚屋宗五郎」 の主計之助に加えて、この幕の与五郎 ・ 放駒長吉の二役。ほとんど出ずっぱりとなるこの幕での活躍ぶりは目を見張るものがあった。与五郎は前にも演じているし、おっとりとした役柄でニンに合っている。与五郎がニンに合うということは線が細いということで、それゆえに与五郎と放駒の二役となると難しいわけだが、これがどうしてどうして、こんなにいいとは思わなかった、と失礼な感想を抱いたくらいに良かった。襲名の魔力だろうか。もともと真摯に、ひたむきに演じる人ではあったけれど、ここまで気合の入った力強いこの人を観たことはなかったような気がする。ここしばらくの襲名はいずれも順当というか、ああおめでたいね、よかったね、で終わっていたけれど、襲名を機に劇的な変化を予感させてくれたのは魁春以来じゃないだろうか。それまでむしろ後ろの方で控えていた人が自信を持って光の中へ自分から踏み出してくる。ひと回り大きくなったように見える。今後に期待せずにいられなくなる。う~ん、これだから襲名って不思議だ。

濡髪は富十郎。放駒と対照的に動きのほとんどない役ながら、声のよさが際立つ。吾妻は福助で、吾妻と与五郎のジャラジャラしたやりとりを苦笑しながら見守る仲居の歌江、芝喜松、京蔵の雰囲気がいい。蔵屋敷の侍二人組は弥十郎と獅童で、悪になりすぎず、自然なのが良かった。茶屋の亭主は東蔵。濡髪の弟子は蝶十郎と隼人クン。

新錦之助の放駒、もうしばらくしたらまた観てみたい!

■ 新皿屋敷月雨暈 魚屋宗五郎

勘三郎の宗五郎、勘太郎の三吉、七之助のおなぎと中村屋父子がそろい、時蔵のおはま、錦吾の太兵衛、松之助の典蔵、我當の家老に新錦之助のお殿様。

中村屋はいつもどおりの熱演なんだけど、その熱演が暑苦しいというか、作りこみすぎてあざとくなってしまうというか、必要以上にコミカルになってしまうために興がそがれてしまうというか…。ご家老の前で寝転がっていい心持で鼻歌をもらす辺りは中村屋ならではのいい感じだったし、時蔵との息がピッタリだから、宗五郎が庭で酔いを醒ましておはまの膝枕で寝ている姿なんてすっごく絵になっていたし、他にもいい場面はたくさんあったのだけれど、全体としては、なんかこう、しっくりこないんだよねぇ。やっぱり宗五郎は菊五郎で観たい。

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歌舞伎座四月 昼の部

中村信二郎改め二代目中村錦之助襲名披露 四月大歌舞伎

■ 當年祝春駒 (あたるとしいわうはるこま)

曽我物語がそのままそっくり踊りになっているので、踊りというよりほとんど芝居を観ているのと同じ感覚で楽しめる。工藤役の歌六と茶坊主役の種太郎を別にすれば、獅童 ・ 勘太郎 ・ 七之助の3人がそろうとまるで浅草歌舞伎のよう。それでも歌舞伎座という劇場はやはり特別なのか、3人とも浅草で観るより大人びて見えるから不思議。

工藤が五郎 ・ 十郎兄弟に渡す 「狩場の切手」 って、表面にそのまま  「切手」 って書いてあるのね。そういうもん? 切手って、単なる普通名詞で、「狩場入場証」 とか 「工藤なにがしのなんたら」 とか書いてあるのが本来なんじゃ? まぁ、別にどうでもいいことなんだけどぉ。

■ 頼朝の死

何度観ても、暗がりの中で頼家がひとり御簾越しに月を見上げている場面は冴え冴えとして美しいと思う。

梅玉の頼家、歌昇の重保、福助の小周防という組み合わせは6年前の同じ4月の舞台とまったく同じで、その時も観ている。だがまったく別の舞台のように感じられた。まずなによりも、今までこの芝居はずっと頼家の気持ちになって観ていたのだけれど、今回は最初から最後まで重保が気の毒でならず、しまいには頼家に対して憤りまで感じてしまったのだった。重保が重苦しい秘密をひとりで抱えきれずに小周防にぶつけてしまったのがさらに悲劇を招いたとはいえ、ああまで執拗に責め立てなくたっていいじゃないか、と、前回まではこんなこと思わなかったはずなんだけどなぁ。単に私が年をとるにつれて感じ方が変わっただけなのかしらん?

それはそれとして、耐え難かったのが福助の変化だ。前回はほとんど記憶にないぐらいだから普通に演じていたと思う。ところが今回は、一体どうしちゃったの? と思わず眉間にシワが寄ってしまったのだ。まず最初に頼朝の三回忌法要が営まれている法華堂の門前で重保に行き会い、自分の贈った歌を読んでくれたかと恥ずかしそうに尋ねる場面で、福助の小周防はクネクネと身体をしならせ鼻声を出す。まるでコントを見ているようだった。「もとはお姫様だったことを忘れないように」 という真山美保の教えを胸に演じる、というようなことを筋書で言っているが、とても姫の動きではない。さらに後半、真相を明かせば重保と添わせてやるとの頼家の言葉に心が揺れる、ここまでは良かったし、派手に泣き崩れる場面も不自然さはなかった。ところが、重保が自分も小周防に思いを寄せている、と口にした途端、舞い上がる気持ちを表現しようとしたのだろうけれど、口を開いたまま目が宙を泳いでにやつく顔がどうにもいけない。どうして最近の福助はこう大事な場面をマンガチックにしてしまうのだろうか。

■ 男女道成寺

ブラボー! 文句なしに楽しかった! これまでに観たことがあるのは菊五郎と丑之助時代の菊之助の父子コンビと、橋之助 ・ 福助の兄弟コンビだけだったので、まず仁左衛門と勘三郎という顔合わせが新鮮。仁左衛門の女形といえばすぐに思い浮かぶのは 「先代萩」 の八汐で、桜子として登場する白拍子姿の仁左衛門は、顔だけ見ると八汐に近かったりもするのだけれど、烏帽子が落ちて男であることが知れ、狂言師左近として再登場する場面で、一瞬にして舞台がパッと明るくなったように感じられた。この明るさ、爽やかさ、涼やかさはこの人ならではのものだろう。勘三郎の道成寺はもう見慣れているはずなのに、仁左衛門と並ぶといっそう可愛らしく、乙女チックに見えてくる。普段から仲のいい2人だけに息もピッタリで、鈴太鼓の音も気持ちのいいぐらいに重なり合う。丸に二の字の紋を配した仁左衛門の鈴太鼓は真新しく、勘三郎の鈴太鼓は使い込まれているのが一目で分かるのも面白い。この幕用に作られた手拭いもしっかりゲットできたし、嬉しく楽しい一幕だった。

■ 鬼一法眼三略巻 菊畑

この場の鬼一法眼が 「四の切」 で義経を匿っている法眼館の主であり、遡れば鞍馬山で牛若丸に剣術を教えていたのも鬼一であること、奴姿で義経すなわち虎蔵に従う鬼三太が鬼一の弟であり、鬼一と鬼三太が互いに腹の探り合いをしていることなど、背景が分かっていないと何がなんだか分からないのがこの芝居。そしてまた、何度か観ていて背景はしっかり分かっているはずなのに、この場だけポンと出されるとやっぱり入り込めないままに終わってしまう。おそらくこの演目が繰り返し上演されるのは、筋がどうとか芝居としての見所がどうとかいうことでなく、顔合わせこそが眼目なのだろう。若武者姿の虎蔵、色奴の鬼三太、貫禄十分の座頭格の鬼一、赤姫の皆鶴姫、公家悪の淡海と、様々な役柄がそろい、一堂に会する。そのいかにも歌舞伎らしい絵面を楽しむものなのだろう。その意味では、新錦之助の虎蔵、吉右衛門の鬼三太、富十郎の鬼一、時蔵の皆鶴姫、歌昇の淡海と役者がそろって見ごたえがあった。

前回、左團次さんの鬼一は花道から出てきたが、今回は上手の奥院から出てくる。病に臥せっていた鬼一が久々に体調がいいので花を見にくるという設定を考えると、奥院から腰元に手を引かれてよろよろと出てくる今回の形の方が理にかなっている。

淡海に言い寄られて皆鶴姫が嫌がる場面、時蔵の皆鶴姫のもう本当にイヤでイヤで仕方がないという表情が印象的だった。

劇中で口上。富十郎は今月の舞台で膝を痛めてしまい正座ができないそうで、合引を使っていた。劇中の口上は、口上が終わって何もなかったように芝居に戻るところが楽しい。

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2007年4月20日 (金)

御園座 陽春花形歌舞伎

■ 通し狂言 盟三五大切

この舞台を見逃す手はないという知人2人の熱い勧めもあって、日帰りの強行軍で観に行ってきた。そして、来てよかったと心から思った。

この芝居は過去にも何度か観ているのだけれど、趣向は面白いと思うものの、芝居としてはピンとこないというか、懲りすぎというか、好きになれなかった。それが今日の舞台はまるで違っていた。文句なしに面白かったし、なにより共感できたのだ。小万にも、源五兵衛にも、三五郎にも、八右衛門にも。その結果、気持ちが深く入り込んで心が揺さぶられた。それがこれまでの舞台とは一番違っていた。

これまでの源五兵衛は、ただの意地ずくで行動していたと思う。少なくともそう見えた。武士が町人に騙された。面子をつぶされた。そうした怒りが前面に出ていたから、女性の視点から共感できなかった。ところが三津五郎の源五兵衛は違った。今日の舞台で一番印象的だった場面でもあるのだが、我が手で打ち落とした小万の首を懐に抱いて、ゆっくりゆっくり花道を入っていく場面で、これまでの源五兵衛が 「してやったり」 と勝利の微笑みのような凄みのある表情を見せていたのに対し、三津五郎はいかにも愛おしそうに懐の首を見つめる。この人は本当に心から小万を愛していたのだ、だからこそ小万の裏切りが許せなかったのだと、その心情がしみじみと分かる。小万の腕の彫り物が  「五大力」 から 「三五大切」 に変えられていたことを知った時の驚きようは、それまでは心のどこかにまだ小万を信じたい気持ちがあったのではないかと思わせる。小万は純粋だった。純粋に三五郎を愛して、自分がまさに命を落とそうとする今わの際でさえ三五郎の命乞いをするほどに一途に三五郎を愛していた。だからこそ源五兵衛には小万が許せなかったのだと、ストレートにその哀しみが伝わってきて、なんとも切ない思いがしたのだった。

小万の首を傍らにおいて悠然と食事をする場面は、源五兵衛の非道さを見せる趣向のように思っていたのだけれど、三津五郎の源五兵衛は、「こうしてお前と二人で食事をしようと思っていたに」 と、小万の首に語りかけるその言葉にあたたかみがあって、残忍さは感じなかった。首がパックリ口を開けた途端に客席がわくのはいつものことだが、特に隣りの女性はツボにはまってしまったらしく、そのあとしばらく笑いが止まらなかった。確かに菊之助、思いっきり開いてたからなぁ。

三津五郎の衣装もよかった。茄子紺というのだろうか、黒でなく、紫がかって、ちょっと紗がかかったような…。裾や袖口からのぞく朱も、派手な朱でなく茶色がかって、その抑えた色見が役によく合っていた。

冒頭の男女蔵と團蔵の台詞はよく聞こえなかったのだけれど、その後すぐに菊之助と橋之助が出てからはそんなこともなく、全体的なまとまりのよさが舞台の安定感につながっていた。配役の妙。ひとりひとりがそれぞれの役にはまっているだけでなく、相互のバランスも実によくとれていた。殺し場となる虎蔵の家で仲間が集まっている場面も、この連中は日頃からこんなふうに集まって騒いでいるのだろうという生活感があったし、亀三郎の八右衛門のひたむきな忠義ぶりも、まったく嫌味がなく自然で、源五兵衛の罪をかぶって引かれていく八右衛門に源五兵衛が手ぬぐいで頬かむりをさせてやる、その無言の仕草に主従の絆が感じられた。そうしたひとつひとつのことが積み重なって芝居の空気を作っていく。その空気が感じられない舞台は寒々として心に入ってこない。芝居の重層性? うまく言えないのだけれど、芝居の背景となる世界がきっちり立ち上がっているからこそ本筋の物語がくっきりと浮かび上がる。そんなことを感じた。

橋之助の声ってこんなに高かったっけ? と思う場面が何度かあって、特に前半、源五兵衛を騙そうと策略するあたりではわざとらしいようにも感じた。それでも彼の古風な顔立ちは強力な武器だなぁ。菊之助との相性もいい。本当は俺も怖かったよ~、とブルブル身体をふるわせる場面はおかしくて、こんなところに小万は惚れちゃったのかしらん、と思ったり。

そうそう、大事なことを書くのを忘れていた。これまでやたらと小難しく分かりにくく感じていた芝居だったのに、今回の舞台ですっきり雲が晴れてしまったのだ。これは先に観て熱く語ってくれた知人の言うとおりだった。筋書を読んで、「忠臣蔵」 と 「四谷怪談」 で大当たりした直後に一番人気の三代目菊五郎が窮地に陥った南北が苦肉の策として、「忠臣蔵」 の余勢を借りつつ 「五大力」 の書換にさらに 「四谷怪談」 の印象も盛り込む離れ業、との成り立ちが分かると、「やるなぁ、南北」 とにんまりせずにいられない。観たかったなぁ、初代辰之助の源五兵衛!! 今回の舞台、ぜひ歌舞伎座での再演を、という気持ちはあるものの、今回とまったく同じ配役で、というわけにはいかないだろうから、そうなると再演されてもまったく別の舞台になってしまうかもしれない。ああ、やっぱり観にいってよかった!

■ 芋堀長者

平成17年の同じ橋之助と三津五郎のコンビでの上演を観ているので目新しさはないものの、菊之助も加わって、前の舞台のメインが全員そろうところがすごい。特に三津五郎は前の舞台で大家との二役だったから、ほとんど出ずっぱりの大奮闘。幕が開くと一面の金襖で、後ろの方から 「や~っぱり名古屋は金ピカじゃねぇとな」 という声が聞こえたので笑ってしまった。美しい赤姫姿で登場した菊之助に、隣りの女性は 「かわいい~! でもどうしてもさっきの口パックリを思い出しちゃう~!」 とまた笑い続けていた。彼女きっと、当分の間は思い出し笑いしそうだな。全員のお尻フリフリが大受け。「あ~ん、帯で見えない~!」 と、隣りの彼女は菊之助のお尻も見たがっていた。楽しい人がお隣りでよかった。

… というわけで、大満足の御園座であった。余談ながら、歌舞伎座でも国立劇場でも、確か新橋演舞場でも、所作台の板は大道具さんが2人1組で花道と並行に持って運んでくるけど、御園座では1人ずつ肩にかついで運んでくる。その姿がカッコよかった!

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2007年2月 3日 (土)

歌舞伎座一月 夜の部

■ 廓三番叟

お正月の歌舞伎座の舞台に雀右衛門の華やかな傾城姿。それだけでもう満足。しかも芝雀が新造のひとりで雀右衛門の手を引く。父子が同じ舞台に立ってこのような形で接触することがよくありそうでそうないだけに、なんだか胸が熱くなってしまった。同じく新造の孝太郎は表情が硬い。なにやらとんでもないことを企ててでもいるような顔つきに見えた。普段から硬質な人ではないはず。疲れていたのかもしれない。

魁春が出て舞台がしまる。そこへ富十郎。おめでたい一幕。

■ 金 閣 寺

これまであまり好きな芝居ではなかった。豪華な舞台面にも心が動くことがなかった。ところが今回は違った。大膳の幸四郎に吉右衛門の東吉。仁木と男之助ではほとんどすれ違いだった二人が碁盤をはさんで相対する。鬼藤太の弥十郎と正清の左團次さんは、ともに大柄なこともあって時に役がかぶることがあり、それほど頻繁に同じ舞台に立っていない気がするのだけれど、今回はどちらも大きさの必要な役で、まったく違う個性でそれぞれに脇を固めていた。慶寿院の東蔵も品格があり立派。直信は梅玉で、黒の着物に浅葱の半衿がよく似合う。この配役の中で玉三郎の雪姫。嗜虐美の完成形。圧巻。最前列の席では手を伸ばさずとも膝にはらはらと花びらが落ちてくるほどに舞い散る桜のもと、抗えば抗うほど食い込む縄に身悶える姿は強烈な印象を残す。贅沢な舞台だなぁ、と感じ入った。

■ 春興鏡獅子

何度となく観ているので、特に強い期待を抱いていたわけではないのだけれど、弥生の時からすでに勘三郎の顔が違った。いつもより神妙というか、なにかこう得たいの知れない 「恐れ」 を感じているような…。踊りってよく分からなくて、正直、弥生の踊りっていつもただボ~ッと見てしまうのだけれど、ただ美しかったり可愛らしかったりするのでなく、なにかこう、うまく説明できない部分でいつもと違っていた。手にした獅子頭が生きているかのように動き出した瞬間の驚きの表情といい、獅子頭に引きずられるように花道を入っていくときの体の動きといい、凄みさえ感じるかつて見たことのないような弥生だった。

獅子として再登場した後も、最初の方のゆっくり毛を振る場面では、1回1回、毛の流れを確認しているのが目の動きでハッキリ見て取れた。休んでいる間の形も美しい。そして最後の見せ場というべき毛振りに入ると、いつもより腰の位置が高く、初めは体調でも悪いのかと思ったぐらいだったのだけれど、おそらく最初から、千秋楽だったこともあり、たくさん振ってやろうとわざと腰の位置を調整したんじゃないかと思う。1回2回と数えていたのに途中から分からなくなってしまったぐらいで、後ろの鳴物さんたちや後見の山左衛門さえハラハラしているように見えた。客席がどよめく。それでも勘三郎は回し続ける。大きな拍手。まだまだまだまだ。だんだん心配になってくる。まだ回っている。拍手がいよいよ大きくなる。そのピークにドン!と勘三郎が足を鳴らし、大きく振りかぶった。拍手の嵐。ただ、さすがの勘三郎もあれほど回した直後に片足でバランスをとるのは難しく、静止すべき足がブルブル震え、そのまま幕となった。たくさん回せばいいというものでもないのだろうけれど、それで客席がわくのは事実だし、最後に静止できなかったことで点が落ちるとは思わない。いやぁ、いいもの観ちゃったなぁ、というのが正直な感想だったし、幕が下りると抱き合って泣いてるご贔屓がたくさんいたし。この人たちが出待ちをするために大挙していなくなってしまったのは次の幕の役者に失礼だろうと思ったけれど、まぁ個人の勝手だから文句も言えないし…。

胡蝶は宗生と鶴松。2人のバランスもよく、ともに達者できちんきちんとした踊り。弥生を引っ張り出す女官に歌江と歌女之丞。対する家老と用人は芦燕と猿弥。お年玉のような嬉しい一幕だった。

■ 切られお富

悲しかった。宗十郎の素敵なお富が今も目に残っているだけに、福助のお富はとてもとても悲しかった。いわゆる 「悪婆物」 に属する芝居で、「悪婆」 というのは、ややトウが立った年代で、惚れた男のために悪事を働く女を意味するもので、あくまで 「惚れた男のために」 というところがミソで、「性根が悪い女」 ではない。福助も与三郎のためという気持ちは十分に見せているのだけれど、憎々しい口のきき方がわざとらしいためにコメディになってしまい、実際、客席から始終笑いが起こる。それを 「ウケているから大成功」 と思ってほしくない。最初からこの路線を狙ったもので、こんな演じ方があってもいいじゃないか、というならもう何も言うことはないけれど、私は好きじゃなかった。

福助は大抵、発声の仕方や台詞回しで役柄を現そうとする。もともとよく通る美しい声をしているのに、姫なら苦しげなほど高い声で、武家の女房になると聞き取りにくいぐらいに口をすぼめてくぐもった声で、おきゃんな町娘やコメディエンヌ的な役だと、時にドスをきかせたような太い声で。今回のお富では、与三郎を想う女になっている間は普通のいい声なのに、「切られお富」 としての台詞はすべてドスをきかせたダミ声。こうした演じ分けの仕方は確かに分かりやすい。でも本来は、こんなに極端に発声の仕方を変えずとも、トータルな演技で十分に演じ分けられるはずだし、そうあるべきなんじゃないかと思う。福助に対しては以前からこの点が疑問だった。「切られお富」 という芝居が福助に合っていないとは思わない。むしろ、今この役をできるのは他にあまりいないかもしれないとさえ思う。だからこそ、今回のような演じ方はしてほしくなかった。

橋之助の与三郎、弥十郎の蝙蝠安に歌六の赤間。

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2007年1月26日 (金)

朧の森に棲む鬼

“いのうえ歌舞伎” 第五弾にして初体験。染五郎は好きなのに、これまでなぜか足が向かずにいたのだが、今回はポスターに惹かれてチケットをゲット。歌舞伎座以外に国立劇場に浅草と芝居の多い一月の 「オマケ」 のようなつもりで観に行った。それほど期待していなかったので、主役が染五郎という以外ほとんど予備知識ゼロで出かけたのだが、染五郎の弟分が阿部サダヲ。好きなんだぁ、サダヲちゃん。

個人的にミュージカル仕立ての部分はあまり好きではないのだけれど、この作品にはよく合っている気がした。猥雑な街の群集シーンもビジュアルとして美しく、衣裳も舞台装置も照明も秀逸で、正直、これほど質が高いとは思っていなかった。それにメチャメチャおもしろい! これまでの作品を見逃してしまったことを激しく後悔することになった。

すごいぞ染五郎。最後までまったく改心することのない悪党そのものなのに、凄まじいまでにカッコイイ。彼が歌舞伎を捨てるはずはないけれど、捨てても十分にやっていける人なんだろうなぁ、と思ってしまった。獅童も歌舞伎以外の活躍で注目されているし、丹下左膳のように主役を務めた舞台もあるけれど、どちらかといえばインパクトの強い脇役の方が向いている。その点で染五郎とはやはりオーラの強さが違う。悪のできる二枚目は強い。

染五郎に限らず、全般的に立ち回りその他のスピード感と動きの美しさにも圧倒された。
なじみのない劇団なので、染五郎と阿部サダヲのほか、オオキミ役の田山涼成とマダレ役の古田新太以外はまったく知らないのだが、女優陣ではツナ役の秋山奈津子が特によかった。

大江山の鬼退治がベースになっているので、国の名前もオーエだし、ライは源頼光、シュテンは酒呑童子、ツナは渡辺綱、キンタは金太郎こと坂田金時からだと容易に想像がつく。タイトル 「朧の森に棲む鬼」 の英題は 「Lord of the Lies」 なので、ウソをウソで固めて舌先三寸でのし上がっていく主人公ライの名前には Lies も暗示しているのかもしれない。

本水を使った舞台では、いつも猿之助を思い出す。古くから舞台で水を使うことはあったし、最近でこそ勘三郎もかなり大胆な水の使い方をしているが、何トンもの大量の水を滝のように降らせて観客の度肝を抜いたパイオニアは猿之助だったはずだ。大滝に打たれながらの激しい立ち回りは今も目に残っている。

弟分のキンタさえ手にかけたところで、ライは芯からの悪人なのだと強く印象付けた。キンタが死んでしまって、これでもうサダヲちゃんは見られないのかと悲しかった。だからキンタが再び登場した時には思わず拍手してしまった。無意識のうちに急所をはずしていたのは、弟分に対して少しは情が残っていたのか。周りを欺き頂点に登りつめることができたとしても、そこにどんな喜びがあるというのか。最後まで毒づきながらも、滅びる瞬間までカッコよかった~。

幾度かカーテンコールが繰り返され、劇場のアナウンスが入ってもなお拍手が鳴り止まず、その後も再びカーテンコール。次の “いのうえ歌舞伎” も絶対観たいっ!

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2007年1月24日 (水)

番外編 シネマ歌舞伎

シネマ歌舞伎 二人道成寺

玉三郎と菊之助のコンビによる初演も再演も両方観ているので、シネマの方は見るつもりはなかったのだけれど、見てきた知人があまり絶賛するので興味がわいた。もっとも彼女は実際の舞台は見逃していたから、初めて見るから面白かったのだろう、ぐらいの気持ちだったのだけれど、これが実によかった。

単に画像がきれいだというだけではない。様々な最新技術を駆使するにせよ、実際の舞台をそのまま録画して再現するだけだろうと思っていたのだけれど、そうではなかった。従来の二人道成寺と異なり、二人の女形が花子というひとりの女性の陰と陽とを踊り分けるという作品の狙いをより明確に示すための特殊な編集が施されている。ネタばれになるから詳しくは書かないけれど、結果的に実際の舞台と異なるものになるわけだから、下手なやり方をすれば演者に対して失礼になる。それが実現したということは、と見ながら考えていたところ、最後のクレジットで玉三郎が自ら編集に参加していたことが分かり、納得がいった。

特殊な編集の部分はそれほど多くはない。だが実に効果的。全体の画像の美しさも相当なもので、東劇での上映は今月26日までと残り少ないが、できればもう一度見たいと思っている。そしてもしDVDが発売されたら絶対購入! 何度でも見たい!

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歌舞伎座一月 昼の部

寿初春大歌舞伎

■ 松 竹 梅


歌舞伎座に毎月通うようになって20年近く経つと、演目が何であれ気にせずチケットを取ってしまうし、当日も事前に演目を確認したりはしないので、客席についてから 「さて、今日は何を観るんだっけ」 ということも少なくない。その方が、幕が上がってからどのくらいで何の芝居だか分かるかな、と自分を試す楽しみもあったりする。チラシや歌舞伎座のメルマガで一応は目にしているはずなのだけれど、襲名その他の特別な興行でなければまず覚えていない。そんなわけで、今日も何が始まるのか分からないまま開演を待った。

なんとも華やかな幕開きに、そういえばまだ 「正月」 だったと気付かされる。闕腋袍 (けってきほう) という難しい名前の衣裳をつけた武官姿の梅玉と、おなじみの舎人の衣裳の橋之助。梅玉には貴族の衣裳がよく似合う。端正。橋之助の方は、舎人の衣裳だと長い手足が余計に強調されて、ちょっとアンバランスな印象。最後は花道に入るのだけれど、主人の後を舎人が追っていく形だと後から入る橋之助の方に目が集まりすぎるので、せっかく背景が華やかなのだから、絵面に決まって終わる方がいいような気がした。

背景が松から竹に変わり、てことは梅が続くのね、と分かる。竹とくれば雀。信二郎、高麗蔵、松江の三人が雀で、奴の歌昇とからむ。四人とも厳しい表情のままだったせいか、「戯れ踊る」 というよりは雀対奴の闘いみたいでちょっと怖い。

梅はこれまた華やかに、女形が三人そろい、曾我物語の世界を借りて、魁春が工藤の名代であることは台詞から分かったので、残る芝雀と孝太郎は大磯の虎と化粧坂の少将。当然ながら魁春の衣裳だけが他の二人とはまったく違い、武家らしくありつつ負けず劣らず豪華。松竹梅がそろって、初春にふさわしくおめでたい幕。

幕間にようやく筋書を開き、梅玉は在原業平で、魁春は工藤の妻だったことを初めて知る。なるほど~。分からなかったのは当然で、まったく新作の踊りだった。作詞は川口松太郎だそうな。ふむふむ。

■ 俊  寛

「またこの芝居?」 と思ったのも無理はなく、12月の南座で観たばかり。その時は仁左衛門の俊寛で、遠ざかる船を追って花道に出て行く場面で、俊寛がいきなりスッポンにはまり、胸ぐらいまで水につかった状態でなお手を振り続けるという、鬼界ヶ島周辺の地形まで変えてしまう大胆な演出だった。今回の吉右衛門俊寛は、浅瀬で波に押し戻される従来どおりのやり方で、見慣れているせいか、この方がおさまりがいい。

意外にも富十郎の丹左衛門は初役だという。筋書にはっきりそう書いてあるのになんだか信じられなくて、上演記録で確認してあらためてビックリ。この人が声をはるとやたらと目立ってしまうけれど、あくまで吉右衛門を立てる形で万事控えめに演じていた。

瀬尾は段四郎。一時はかなりやせていたけれど、だいぶ戻ってきたので貫禄十分。もともと目に力のある人だから、敵役も十分にいける。福助の千鳥は、船に乗せてもらえないと分かって嘆く場面で、うっかりなのか、勘三郎とのコメディっぽい芝居でよくやるような低い声と口調になったので、客席から笑いが起こってしまった。俊寛が赦免状に自分の名前がないことで苦悩する場面では、舞台片隅のほとんど目に入らないところにいながら、気を抜かず、ずっと心配そうにハラハラしながら見守っていてよかっただけに残念。東蔵の康頼、歌昇の成経。

幕切れ、岩の上での俊寛の表情に興味がある。勘三郎だったか、うっすら笑いを浮かべた人もあれば、遠い一点をじっと見つめる人もいる。吉右衛門のやり方も常に同じかどうか分からないのだけれど、「寂寞」 という言葉がピッタリくるようないい表情をしていたのに、静けさで終わるべきこの場面で、「大当たり!」 と声をかける輩が…。感じ方は人それぞれだろうけれど、やめてほしかった。

最後になったが、幕開けにプ~ンと海草の匂いがした。吉右衛門が海草の束を手に現れると、いっそう匂いが強くなる。今までもこんな匂いしたかなぁ? ひょっとして、俊寛の小屋の屋根に使われていた海草も本物?

■ 勧 進 帳

これも 「またぁ?」 と思ってしまう演目なわけで、ましてや幸四郎が昨年十一月に九百回目を演じたばかりとなれば、単に記録を伸ばしたいだけなんじゃ? といううがった見方さえしてしまいたくなるのは、あまりに意地が悪いだろうか。でも今日の幸四郎弁慶はちょっと意外だった。大酒を飲み干すあたりはなごやかになる場面だが、それ以外でなぜか笑顔を見せる。たとえば最後、義経一行が無事に花道を入っていったことを確認したところで、うっすらとではなく、はっきりと満足げな笑みをもらす。他にもどこだったか、意外なところで笑ったような…。自分が六法で入っていく直前だったかしらん。そこでも何か違和感を感じたのは、笑顔のせいだったかどうか、記憶がいまいちはっきりしない 。 (今日観てきたばかりなのに!) とにかくなんだか不思議な弁慶だった。

義経は芝翫。なにげに久しぶりだと思ったら、その前は平成11年まで遡る。真紅の半襟がやたらと目立った。さすがの品格。

高麗蔵の亀井、松江の片岡、錦吾の常陸坊と並んで宗之助の駿河。澤村姓が少なくなっている今、宗之助にもっと大きな名前を継がせる意向なのかなぁ、とふと思ったり。

■ 六歌仙容彩 喜撰

勘三郎の喜撰法師に玉三郎のお梶。この幕だけ録画されていた。勘三郎はいたって真面目に踊っていたと思うのだけれど、なぜだか客席は大うけで、なにげない仕草のひとつひとつに笑いが起こる。二人の仲の良さが自然に出ていて、観ていて確かに楽しかったけれど、あんなに笑うような内容ではなかったと思うなぁ。弥十郎を筆頭に所化がたくさん。にぎやかな幕切れ。

終わってみれば、最後のこの幕が一番面白かったかな。

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2007年1月19日 (金)

新春浅草歌舞伎

第一部・第二部を通しで観てきた。
『義経千本桜』 より、第一部は  「すし屋」、第二部は 「渡海屋」 と 「大物浦」、第一部・第二部共通で 『身替座禅』 という演目なので、1日分をまとめて評することにしたい。

まずは 『義経千本桜』 から。同じ物語の中から昼夜で別の話を出すというやり方は、出演者に応じて若い客層が多い浅草には向いているし、気が利いていると思う。年始ご挨拶は第一部が勘太郎、第二部が愛之助だったが、演目が共通していると説明もしやすいだろう。

「すし屋」 では、愛之助の権太に芝のぶのお里、七之助の維盛に男女蔵の弥左衛門。愛之助は、器用さが時にあざとく見えて、薄っぺらになりがちなのが残念だったが、性根を入れ替えてからは骨太さも出て、風姿の良さが際立った。芝のぶのお里は、なによりも可愛らしい個性が生きて、ほほえましい。七之助は線の細さが優男らしさにつながって、弥左衛門と二人になって正座に直る場面で、がらりと様子が変わって武士らしく … はならなかったのと、妻と別にお里とも、という色男ぶりが見えない。愛之助、芝のぶ、七之助と3人とも声がいいので、耳に心地よい舞台だった。男女蔵もこの一座だと老役になってしまうのねぇ。ちょっと気の毒。それにしてもお父さんに似てきたなぁ。時々ビックリするほど似ている。梶原平三景時は獅童。この一座ではこの人しかいないと納得させるだけのものはある。あくまでこの一座なら、だけども。そのほか、嶋之亟のお米、亀鶴の若葉の内侍、國矢の小せん。

「渡海屋」 「大物浦」 を通して、獅童の知盛、七之助の典侍の局、勘太郎の義経、男女蔵の弁慶、亀鶴の相模五郎、愛之助の入江丹蔵。まず獅童の知盛は、銀平の拵えもなかなかにスッキリとしたいい男。ただちょっとカッコつけすぎかな。二枚目であろうとしすぎたかもしれない。知盛になってからはベリベリとした勇壮さがあり、碇をかついでのラストも立派だった。とりあえず及第点。七之助は、ここでも声のよさが光って、安徳帝を抱きかかえて今まさに海に飛び込もうとする場面での朗々とした台詞が凛としていて素晴らしかった。船宿の女房に身をやつしている間は、もうちょっと柔らかさがほしいかな。客商売にはまったく向かない女性に見えた。亀鶴と愛之助のコンビは息も合い、魚尽くしの台詞は大ウケだった。ただ、亀鶴がわざと野暮ったい衣裳で情けない侍を演じているのに、愛之助の方はその家来のくせにやけにスッキリしたいでたちだったのがアンバランスに感じた。勘太郎の義経は気品もあり情も見せて立派。弁慶姿の男女蔵がまたパパに似てるんだぁ。

出演者が全員若いので、歴史物の重みはあまり感じられず、ハツラツとしすぎている感もあるけれど、そこはまぁ、浅草ならではの味だから。

『身替座禅』 は、第一部・第二部ともに勘太郎が山蔭右京を演じる。なぜ??? 第一部は獅童の玉の井に七之助の太郎冠者、第二部は愛之助の玉の井に亀鶴の太郎冠者と役を替えているのに、主役だけ替えないなんて、ちょっともったいない。勘太郎の右京は若いながらも大名らしい気品があり、愛嬌もたっぷりながらやりすぎず、実に結構で何度でも観たいと思うぐらいではあったけれど、でもやっぱり、別の人でも観てみたい。それが浅草の楽しさでもあるのに。上置き扱いの男女蔵は別としても、亀鶴の役が第一部・第二部ともに他の人より軽すぎるぐらいなのだから、第二部では亀鶴の右京に勘太郎の太郎冠者でも良かったんじゃないか。亀鶴は稚魚の会・歌舞伎会の研修公演では大きな役もやっていたから個人的にはすごく買っているひとりで、一般的にはまだそれほど知名度は高くないのかもしれないけれど、そこは浅草、ぜひもっと重く用いてあげてほしかった。左團次さん贔屓の私としては、男女蔵さんにもぜひ本興行でもっと大きな役をやってほしいのだけれど…。

玉の井は、獅童も愛之助も、滑稽な化粧をせずごく普通のこしらえで、それぞれになかなか可愛らしい。獅童の女形というとどうしても強烈だった牛娘を思い出してしまうのだけれど、あの時のようなとんでもないことはしていないのに、やたらと客席がわく。特に若い女性の笑い声が目立った。私生活でゴタゴタしてはいても人気の方はまずまずらしい。愛之助も、こちらの役ではあざとさはなく、やりすぎないのが良かった。どちらかというと、獅童とは対照的にオバサマ層にウケていたみたい。

太郎冠者は、七之助と亀鶴の間でハッキリとカラーが違って面白かった。もし太郎冠者のほかにも朋輩が数人いるとしたら、七之助はその中でも目端が利いて要領よく立ち回るエリートタイプ、亀鶴の方は、生真面目でそれほど目立たないんだけれど殿様にはその真価をきちんと評価されている堅実タイプ。殿様が勘太郎だから、息が合っているのはやっぱり七之助の方なのだけれど、勘太郎と七之助って声のトーンが高いところまで似ているから、ポンポンとスピーディーに台詞のやりとりが続く場面ではちょっとキンキンした印象になる。その同じ場面が亀鶴だと、声のトーンも違うし台詞と台詞の間合いも若干長めになって聴きやすい。こんなふうに比べることができるのも浅草の楽しさかな。

千枝小枝は共通して國久と蝶紫。控えめで美しい。

最後にどうしても特筆しておきたいことがある。共通して後見を勤めた國矢のたたずまいが実に端正で、ため息が出ちゃうほどだった!

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2006年11月23日 (木)

十一月歌舞伎座 昼の部

吉例顔見世大歌舞伎

■ 通し狂言 伽羅先代萩

この芝居は 「まま炊き」 の場の退屈な印象が強くてあまり好きではなかったのだけれど、今回は 「御殿」 の場から 「まま炊き」 を省略し、他には 「花水橋」 「竹の間」 「床下」 「対決」 「刃傷」 の各場がそろう通し上演。その上に配役がすごい。福助の頼兼に歌昇の絹川による 「花水橋」 に始まり、「竹の間」 と 「御殿」 だけでも、菊五郎の政岡、仁左衛門の八汐に加えて、三津五郎の沖の井。これがとっても斬新。さらに田之助の栄御前に、八潮の手下の嘉藤太も弥十郎が演じる。「床下」 の男之助はお手本のような天王寺屋だし、仁木弾正は團十郎。さらに 「刃傷」 から 「対決」 の場では、段四郎の外記に、八汐として殺された仁左衛門が爽やかに再登場する。これぞ顔見世といわんばかりの顔ぶれで、歌舞伎本来の味わいをこっくりと見せてもらった。大満足!

■ 七枚続花の姿絵 源太 ・ 願人坊主

踊りがよく分からない私でも文句なしに楽しめた。三津五郎の踊りの端正なことは言うまでもないけれど、華やかさも滑稽味も十分で、極上のデザートを頂いたような…。

上演記録を見ると、「源太」 は昭和32年に七代目の三津五郎が初演したきりだったのを当代が昨年7月に松竹座で踊り、今回で3回目。「願人坊主」 も、「浮かれ坊主」 の方はおなじみで、富十郎、菊五郎、勘三郎はじめいろんな人が舞台にかけているけれど、その原曲である本作は、近代では今回が初めてとなる (上演記録にそれ以前の記録が掲載されていない)。舞踊にかける三津五郎の熱意の表れと言っていいだろう。三津五郎は、たとえば道成寺を出すにしても、日頃から踊りに熱心で、たとえその他大勢的な踊りでも決して手を抜かない人しか所化に使わないときいた。そういう姿勢が踊りにも表れてくるのかもしれない。

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演舞場 花形歌舞伎 昼の部

■ 番町皿屋敷

意外だった。古くは寿海、当代では梅玉など、口跡涼やかで朗々とした台詞回しが聴かせどころのこの役に、松緑がこんなにはまるとは実際まったく思っていなかった。時折、ここでそんなに声を張らなくても、と思う場面はあったけれど、全体の印象として、青山播磨という人間像がとても清冽に伝わってきた。一家を束ねる若き当主としての貫禄もあり、お菊への思いも十分に見せる。お菊の成敗を制止しようとする奴に対し、「おのれらの知るところでない!」 と吐き捨てる台詞に、播磨の苦衷がみてとれた。ただ、幕切れに、絶望の中で喧嘩の知らせに長刀を手に花道へ駆け込む際、座敷から飛び降り一度もとどまることなく一気に猛スピードで駆け抜けてしまい、いわゆる 「決まり」 の部分がなかったために、「え? これで終わり?」 という声が周囲で聞かれた。確かに勢いは必要だけれど、クローズアップに相当する 「決まり」 の部分はあってもよかったと思う。

芝雀のお菊はすでに手に入った役で危なげがない。朋輩のお仙は松也で、普段と様子の違うお菊を案じる様子が自然でよかった。用人の十太夫には亀蔵。同世代だけに、もうこんな老役が回ってくるようになってしまったのねぇ、とちょっと悲しい感慨が…。

■ 勧 進 帳

海老蔵の弁慶に菊之助の富樫。なんだか不思議な勧進帳だった。全体的に台詞がゆっくりで、ダレた感じはしないのだけれど、なんかこう、懇切丁寧な初心者向けの解説書を朗読されているようなまだるっこしさがあって緊張感に欠ける。それでも容姿と声の良さとで退屈はしない。現に幕切れの後、「きれいだった~」 「いいもの観ちゃった~」 という声があちこちで聞かれた。若さと美しさ、それは大きな魅力。でもそれだけでいいのか? という疑問が…。

海老蔵の眼力 (メヂカラ) で、ギョロリと目が動くたびに拍手がわく。芝雀演じる義経への思いも、大杯を飲み干すおおらかさも十分だったと思う。でもなんとなく歯車がかみ合っていない。弁慶の引っ込みもなんだかおかしな動きだった。前にズンと伸ばした右手を振り回しすぎて形がヘン。それなのに、それはそれとして、やっぱり魅力的なのよねぇ。そこが今の海老蔵のすごいところ。いつまでもそれじゃあいけないと思うけど。

■ 弁天娘女男白浪 浜松屋 ・ 稲瀬川

今度は菊之助と松緑のコンビ。「ほら、さっきの弁慶が今度は弁天よ」 と隣りのオバサマ。ちちち違~う!

初演の時には、ちょっとあぶなげで、それゆえに観ていてドキドキするのが不思議な魅力になっていたように思う。それが今では自信たっぷりに演じていて安定感すら感じる。初演時に比べると男っぽさが強くなったようにも感じた。それだけに、初演時のあの危うさはもう戻ってこないんだなぁ、という寂しさもある。

ここでも松緑がとても良かった。少し前までは、海老蔵 ・ 菊之助と3人がそろうと、どうしても松緑だけ少なからず見劣りするような印象があったけれど、今月に限っては、3人がそれぞれに主役を演じる中で、見劣りしないどころか兄貴分の風格すら感じさせた。襲名を機にグッと大きくなる人もいれば、少しずつ着実に成長していく人もいる。松緑もいよいよ花開く時を迎えているのかもしれない。

「番町皿屋敷」 では奴だった橘太郎が浜松屋の番頭。若々しい人だから老役は気の毒な気がするけれど、おかしみのある役によくはまっている。それにしてもこの番頭さん、万引きの疑いがあるからといって、相手は女性だと思っているのに額をいきなりソロバンで殴るなんて普通はしないよね。團蔵の鳶頭が座敷に背を向けていても会話の流れに応じてしっかりリアクションしている。たまに自分に関係ない場面では知らん振りしちゃう人がいるけど、こういう周囲の集中度が芝居を盛り上げる大きな要因だと思う。

稲瀬川の場に勢ぞろいする五人男が花道から順番に出てくる時、弁天と南郷だけは他の3人より本舞台に近い位置で見栄を切ることに初めて気づいた。日本駄右衛門も浜松屋の場に出ているのだから同じ扱いでもよさそうなものだけど。赤星に松也、忠信に男女蔵、そして日本駄右衛門は左團次さん♪ 父子が並ぶ姿が嬉しかったり。

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菊之助の写真だけまだ販売されていなくて問い合わせが殺到していた。なんでも本人の許可がまだおりていないので、今後販売されるかどうかも答えかねるということだった。忙しくてじっくり写真を見る時間もないのか、それとも提示された写真が気に入らないのかは定かではない。さて、演劇界にはどんな写真が載るのかな?

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